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リッチクライアントの新たな潮流:エクスペリエンス・テクノロジー(経験創出技術)とは?

新たな潮流:
エクスペリエンス・テクノロジー(経験創出技術)とは?(2)


200万件の“生の声”が
顧客ロイヤリティを押し上げた


野村総合研究所
技術調査室 
田中 達雄
2009/7/22
ユーザーインターフェイス技術、分析・管理系技術、開発手法の3つの融合が実現する、新しい潮流を解説する

 一般的に、顧客に最適な経験を提供するためには、顧客を知り、顧客が何を望んでいるのかを理解する必要がある。新幹線のカリスマ車内販売員は、乗客の様子を見ただけで何を望んでいるかが分かり、JALのファーストクラスのキャビンアテンダントは乗客の後ろ姿を見ただけで何を望んでいるかが分かるという。このように顧客の思考を先回りして提供されるサービスは実に心地良いものだ。

 人であれば(すべての人ができるとは限らないが)、このようなことも可能となるが、現代のITで同じことを実現することは困難である。とはいえ、ITチャネルでの接触機会が増加する中、ITチャネルにおける“顧客経験価値”(カスタマー・エクスペリエンス)向上は重要課題であり、それを実現するためには、ITチャネルを通じた顧客理解が重要となる。

顧客を理解するためにできること

 顧客を理解するためには、顧客を知る必要がある。では顧客の「何」を知ることができるのか。現在のITチャネルでは、「顧客の属性」「顧客の行動」「顧客の声」を知ることができる(図1参照)。

図1 顧客を理解するために知り得ること(出所:野村総合研究所)
図1 顧客を理解するために知り得ること(出所:野村総合研究所)

 「顧客の属性」とは、氏名、年齢、住所、性別などの情報を指し、システム的には顧客マスタデータなどがこれに該当する。「顧客の行動」とは、購買履歴やサイトの閲覧履歴などの情報を指し、システム的には受注データやWebサーバのログデータなどが該当する。「顧客の声」は、メールやWebフォームからの問い合わせ内容やブログやSNS、掲示板などへの書き込み情報を指す。

 インターネットの普及により、「顧客の行動(特に、閲覧履歴)」「顧客の声」は昔より容易に収集できるようになった。しかし、多くの企業がまだこれらの情報を顧客理解のために有効活用できているわけではない。収集できるということとそれを有効活用するということの間には大きな隔たりがある。

  おそらく多くの企業は、「顧客の属性」「顧客の行動」「顧客の声」を収集していることだろう。多くの場合、これらは統合されていない。同じ「顧客の属性」も複数システムに散在している場合があるし、3つを結び付けているケースも少ないだろう。企業内外に存在するすべての「顧客の属性」「顧客の行動」「顧客の声」を統合して初めて、顧客を正しく理解できるのだ。The Co-operators社(カナダの大手保険会社)、WACHOVIA社(米国金融大手企業、現在のWells Fargo社)などはカスタマー・エクスペリエンス戦略に軸足を移すとともにこれらの情報を統合するプロジェクトを立ち上げている。

「顧客の行動」から分かること

 「顧客の行動」は、インターネットの普及によって容易に知り得ることが可能になった情報である。実世界では入手が困難な閲覧履歴(実世界でどの商品を手に取ったか、何を見たかなどの情報は入手困難)がWebサーバのログデータから知り得ることが可能になったからである。さらに、導線として「どの検索エンジンから訪れたのか?」、傾向として「日ごろ、どのようなサイトを訪問しているのか?」なども知り得ることが可能になっている。

 スパイスボックス社が2007年11月から提供している「BT-spice!」は、デジタル・アドバタイジング・コンソーシアム社の広告配信先であるimpActネットワーク加盟サイト(150以上)を訪問した顧客の訪問履歴を蓄積・分析し、自社サイトに掲載する情報を最適化できるサービスである。例えば、スポーツニュース系のサイトを多く訪問している顧客が自社サイトに来たときは、スポーツグッズをトップページでレコメントするとか、グルメ系のサイトを多く訪問している顧客が自社サイトに来たときは、旬なご当地食材をレコメンドするといったことを可能にする。

 このように「顧客の行動」を軸に顧客に最適な情報を提供することで収益を上げる手法を「行動ターゲティング」と呼び、Webの世界ではAmazon.comの協調フィルタリングによるレコメンドに始まり、LPO(Landing Page Optimization)、サイト最適化などの技術が登場している。最近では、GoogleやYahoo!もこの手法に基づいた広告サービスを提供し始めている。

 このように脚光を浴び始めた「行動ターゲティング」であるが、2000年ごろからマーケティングツールへ変貌したアクセス解析ツールに始まる。

 アクセス解析ツールは、現在では多くのECサイトが利用しており、主にRFM(Recency:最新購買日、Frequency:累計購買回数、Monetary:累計購買金額)分析やサイト内の行動分析に使われている。RFM分析手法自体は、1960年代に広まった手法で新しい手法ではないが、最新購買日の代わりに閲覧履歴を使うなどサイト特有の分析もアクセス解析ツールには実装されており、価格面でも比較的安価に利用できるようになった。Google Analyticsのように無償で使えるツールもあり、現在はコモディティ化したといっていいだろう。

 アクセス解析ツールの次に登場したのが、「レコメンド・エンジン」「LPOツール」「サイト最適化ツール」などである(図2参照)。

図2 「顧客の行動」を理解する技術の進化(出所:野村総合研究所)
図2 「顧客の行動」を理解する技術の進化(出所:野村総合研究所)

 アクセス解析ツールの場合、顧客の理解はその分析機能により自動化できたが、最適な経験を創出するのは人手に任されていた。しかし、これらの技術は、ITチャネルという非対面チャネルにおいて、顧客の理解だけでなく、最適な経験も人手を介さず自動的に創出し、顧客へ提供することを可能にする。

 例えば、米国の大手おもちゃ販売サイトのHorizon Hobby社は、Baynote社のリコメンド・エンジンを導入し、顧客の購買履歴や閲覧履歴から自動的に顧客に最適な商品をレコメンドしている。その結果、ECサイトの満足度を押し上げ、コンバージョン率を17.6%、平均注文金額を11.6%増加させている。

 また、米国大手通信会社のベライゾン社は、サイト最適化エンジンを導入し、顧客が見た画面デザインと申し込み結果の相関関係から、顧客ごとに最適な画面デザインを自動的に表示し分け、サイトに対するポジティブな印象を持ってもらうことで、申し込み率を36%増加させることに成功している。

「顧客の行動」だけでは分からないことがある

 顧客を理解しようとするとき、「顧客の属性」「顧客の行動」だけでは分からないことがある。この2つの情報があれば、「Who(誰が)」「What(何を)」「When(いつ)」「Where(どこで)」「How(どうやって)」「How Much(いくらで)」の4W2Hを知ることができる。しかし、「その顧客はなぜその商品を買ったのか?」「その顧客はサイトをどう感じたのか?」といった「Why(なぜ)」を理解することはできない。顧客の心理や感情面に訴求する顧客経験価値では、実はこの「Why」の理解がとても重要となる。

 「Why」は、「顧客の行動」からもある程度推測することはできるが、それはあくまでも企業側の勝手な想像であって、確かな「顧客の声」ではない。「Why」を知るには、「顧客の生の声」を聞き、理解することが重要になる。

「顧客の声」を聞き顧客経験価値を向上したH&R Block

 H&R Block社は、米国の電子税申告サービス分野の大手企業の1社である。約440万人の会員を保有するが、競合他社も多数あり、いつ乗り換えられてもおかしくない競争の激しい市場環境に置かれていた。電子税申告サービス分野では、税を申告するという機能に大きな差をつけることは難しく、性能面でも目に見えて差別化することは困難であったからだ。そのような市場環境下にあって、2006年6月、新社長就任を機に顧客経験価値へのフォーカスを開始する。

 まず彼らがやったのは、とにかく「顧客の声」を聞くということだった。自社のチャネルはもちろん、社外のチャネルでもH&R Blockについて語っている場所があれば、そこを探して「顧客の声」を収集した。

 結果、彼らは200万件を超える「顧客の声」を収集することに成功した。しかし、冒頭で説明したように収集と有効活用は異なる。とにかく収集することには成功したが、有効活用する段階で大きな壁にぶつかった。200万件を超える「顧客の声」からいかにして顧客を理解するかという壁である。

 最初の1年目は、収集した「顧客の声」を人手で分類・集計し分析した。当然のことながら、とてつもない時間と労力が掛かってしまった。本来、これら顧客を理解する作業より、顧客経験価値を高くするにはどうすればよいかの知恵を絞ったり、実際の顧客経験価値の高いサービスを開発したりする時間に人手も労力も掛けるべきだ。そこで、彼らは「リスニング・プラットフォーム」と呼ばれる意味解析にたけた自然言語処理エンジン「Clarabridge」を導入することを決断する。

 図3は、Clarabridge導入後のH&R BlockのCEM(Customer Experience Management)システムである。Clarabridgeには、メールやWebフォームのテキストデータだけでなく、社外の掲示板やブログ/SNSから特定の話題の情報を収集して意味解析する能力を備えている。さらに、企業が保有する「顧客の属性」「顧客の行動」のデータと関連付けて分析する機能も有する。

図3 H&R BlockのCEMシステム概要(出所:野村総合研究所)
図3 H&R BlockのCEMシステム概要(出所:野村総合研究所)

 結果、H&R Blockでは、Clarabridgeを導入したことで、NPS(ネットプロモータースコアー、)を6%上昇させることに成功している。また、「これまで感覚的に行っていた新サービス開発や改善活動を信頼あるデータに基づき優先順位を付けて実施することが可能になった」といっている。顧客からの要望や苦情はなんとなく肌では感じているが、どこから手を付けるべきかをはっきりとした根拠に基づいて実施している企業は少ないのではないだろうか。

編集部注:ネットプロモータースコアーとは、推奨者から批判者の比率を引いたもの。推奨より批判が多ければ、NPSはマイナスとなる

 ようやくレコメンド・エンジンが普及し始めた日本でも、今後、顧客経験価値の重要性が増す中、「顧客の属性」「顧客の行動」に加え「顧客の声」を自動的に理解するリスニング・プラットフォームのような技術の重要性が増すものと思われる。

 ただ、リスニング・プラットフォームの場合、意味解析を行う自然言語解析エンジンということもあり、日本では欧米のツールをそのまま利用することはできない。日本市場で日本語を理解するためには、日本語の意味解析用辞書が必要となる。

 また、汎用的な意味解析用辞書は存在せず、業界ドメインや商品サービスごとに用意する必要があることから、ユーザー企業は、日本語の解析に秀でたベンダを見つけ、継続的に意味解析用辞書を洗練していく活動が必要となる。顧客経験価値で他社に先駆け差別化しようと思えば、なるべく早く取り組む必要があるだろう。

 次回は、創出された経験を提供するユーザーインターフェイス技術と方法論や手法について事例を交えて紹介したい。

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