私、私も坂口さんが大、大好きです!
松嶋家でのクリスマスパーティー後に起きた、予期せぬ出来事。
ずっと思い続けてきた谷田にやっと自分の思いを伝えた坂口だったが、あれから1カ月がたったいまでも、谷田の口から出たあの時の言葉がまだ坂口の耳にリフレインし、思わずニヤついていた。
正月には2人で初詣にも行った。甘酒を飲み、おみくじを引いた。2人で街を歩き食事もした。
仕事以外に大切にできる時間、大切にできる存在を持てることに坂口は幸せと安らぎを感じていた。
坂口 「フフッフフフッ。次はどこに行こうかなぁ〜……」
伊東 「さ、坂口さん……。坂口さん!」
坂口 「ん、んん?」
伊東 「ほら、内線が鳴ってますよ!」
坂口 「あ、あぁ、そうか。ありがとう」
伊東 「坂口さんらしくないですよ、ボーっとするなんて。まだ正月ボケですか?」
ここはサンドラフトのIT企画推進室。
年が明けたとはいえ、坂口、伊東にのんびりする時間は、当然ない。
八島の提案により、スパイラル方式での部分リリースという選択を取った新システムは、先行リリース部分の開発を終え、システムテストのフェイズに入っていた。情報システム部では八島や谷橋が連日、テスト結果のチェックとバグの解消に当たっている。谷田との時間に思いを馳せていた坂口であるが、現実は確実に坂口の目の前にある。
坂口 「はい、IT企画推進室、坂口です」
西田 「西田だ。次の進ちょく報告会は予定通りで問題ないな」
副社長の西田からだった。西田は、今回のプロジェクトの実質的なオーナーであり、坂口を支援する強い味方である。しかし、ここ最近のさまざまなトラブルはさすがに気になるようである。
坂口 「副社長! は、はい。次回はシステムテストの進ちょくについてご報告することになっています」
西田 「八島のところだな。とにかく、プロジェクトにかかわるリスク要因は、判明した段階で早めに報告をするように!」
坂口 「はい、かしこまりました!」
リスク要因……。システムテストの状況を常に把握しなければならない。上級シスアドに合格した坂口であるが、すでに担当している業務はプロジェクトマネージャーの立場ともいえる状態になってきている。今回のプロジェクトにおける坂口の役割は、本人が認識している以上に大きい。
谷田との楽しい時間から一気に現実に引き戻され、坂口はほおを両手で軽くたたくと、再びパソコンに向かい始めた。
そのころ、情報システム部では八島が珍しく深刻な表情を見せていた。手にしているのはシステムテストの状況を記した資料である。
八島 「状況は分かったけどさ。ぶっちゃけ実際の見通しはどうなのよ」
谷橋 「はい、予定の7割といったところでしょうか……。なんせバグが多くて……」
八島 「おーい、谷橋ちゃん。気安くバグなんて言うなよ〜。こっちはね命懸けで作ってんのぉ。自分の子供はかわいいっしょ?」
そういう八島自身も焦りを感じていた。システムテスト段階でのバグはある程度想定していたものの、それは彼の想定を上回る件数であり、このままではプロジェクトスケジュールに遅れが生じることは明らかであったからだ。
八島 「スケジュール的にはどうなのよ。これ全部つぶせんの?」
谷橋 「正直、全部は厳しいです。スケジュールから考えると、かなりの数を積み残して次の工程に入ることになります」
システムプロジェクトの場合、かなりのバッファを持ってスケジュールを策定しても、さまざまな要素でそのバッファを食いつぶし、いつの間にかオンスケジュール→遅延というパターンになることが多い。今回のプロジェクトは当初よりバッファが考慮されておらず、ギリギリのスケジュールでメンバーは奔走していた。
谷橋 「スケジュールもあるので……。小さなバグには目をつぶって、プライオリティの高いものに工数を割きたいと思っています」
谷橋の顔にも疲れが出始めていた。
八島 「(こいつ……参ってるな)」
八島は谷橋の顔を見つめ、こう伝えた。
八島 「で、谷橋ちゃんの本音んとこではどうなの?」
谷橋は一瞬、息をのみこう続けた。
谷橋 「自分は……、システムはモノ作りだと思ってます。今回の件に限らず、納期と品質の間で悩むことって多いです。不具合があるのが分かってても、まいっかって適当に仕上げるのか。でも、やっぱり自信のあるものを作りたいです、時間が許されるのであれば」
八島 「ナイス! それでこそ谷橋ちゃんだ。とにかくつぶせるもんはつぶそうぜ。スケジュールはおれが何とか交渉するからさ」
谷橋が少しホッとした様子で作業に戻っていった。
クオリティーコントロール。
品質を重視するあまり、工程に過剰な工数をかけることでプロジェクトのスピード感が落ちることも多い。今度こそはダメかもしれない、でもそれでいいのか。八島の心にも葛藤が生じていた。
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