“1人ネットスケープ”になっても衰えなかった製品愛挑戦者たちの履歴書(139)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。今回は、瀧田氏のネットスケープ時代を取り上げる。初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2012年01月13日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 前回、第一次ブラウザ戦争の末期に、出産や子育て、体を壊しながらもネットスケープ製品の販促やサポートに孤軍奮闘していたころの瀧田氏の様子を紹介した。ここであらためて、第一次ブラウザ戦争の経緯と、その後にネットスケープが辿った運命について記しておきたい。

 マイクロソフトが1995年に提供を開始したブラウザ製品「Internet Explorer」(以下、IE)は、翌1996年から無償での提供が開始され、さらに1998年に発売されたWindows 98からは最初からOSに組み込まれた形で提供されるようになり、爆発的にシェアを伸ばしていった。一方、シェアを奪われつつあったネットスケープも、IEの後を追うように1998年、Netscape Navigatorの無償化に踏み切る。しかし時既に遅し、IEからシェアを奪還するには至らなかった。

 さらに同年、ネットスケープは大胆な策に出る。当時のクライアント製品最新バージョンである「Netscape Communicator 5.0」のソースコード公開に踏み切ったのである。オープンソース開発をてこに製品力を強化し、起死回生の逆転を狙ったわけだ。このオープンソース開発プロジェクトは「Mozilla」と命名され、ネットスケープ社員を中心に構成される非営利団体「Mozilla Organization」によって運営されることになった。

 Mozillaプロジェクトでは、ブラウザのHTMLレンダリングエンジンとして「Gecko」という新たな技術を採用し、ボランティアで参加するオープンソース開発者の協力を得て製品の開発が進められた。しかし、その初めての成果として2000年にリリースされた「Netscape 6.0」は、機能や性能面で未成熟な部分が多く、結果としてIEのシェアがさらに伸びることになってしまった。2002年には機能、性能ともに大幅に改良された「Netscape 7.0」がリリースされたが、既にこのときブラウザ市場の90%以上はIEによって占められていた。

ALT 2000年にリリースされた「Netscape 6.0」のパッケージ。今では貴重な逸品だ

 製品のもともとの開発元であった米ネットスケープ社は、1998年にAOLに買収されて以降、ブラウザ戦争の戦況悪化に伴って徐々にビジネスを縮小していき、先述したように、瀧田氏が勤めるネットスケープ日本法人も遂に、2001年にクローズされた。しかし、事ここに至っても、瀧田氏のネットスケープ製品への愛着が衰えることはなかったようだ。

 「日本法人は閉鎖されても、米国本社のクライアント製品チームはまだありましたから、本社と直接契約を結んで、日本の企業ユーザーに最新バージョンの提供や、アップグレードを提案する仕事を続けることにしました。いわば、『1人ネットスケープ』ですね」

 当然オフィスはないので、作業場所は自宅。子育ての合間を縫って、ユーザー企業に片っ端から電話を掛けた。

 「運悪く、お客さんと電話しているさなかに子どもが泣き出してしまったり、玄関の呼び鈴が鳴り出したりして、不審人物扱いされたこともありましたね!」

 先述した通り、当時のネットスケープのクライアント製品はオープンソース開発体制に移行しており、IEのプロプライエタリ路線に対して“オープン”や“標準”という機軸を打ち出して対抗を試みていた。瀧田氏もこの方針に従い、日本のユーザー企業に対してオープンであることの意味や、Web標準に準拠することの価値を必死に説いて回ったが、当時はなかなか理解を得られなかったと言う。

 「とある銀行のシステム担当者から、『おたくの方がIEの仕様に合わせるのが筋でしょう』とはっきり言われたこともありましたね。当時はそれぐらい、IEがブラウザのシェアを独占していたんです」

 しかし、「当時のMozillaプロジェクトの取り組みは、決して無駄ではなかった」と瀧田氏は力説する。それどころか、現在普及しているWeb技術の大半は、もともとNetscape時代に実験的に作られていたものや、標準化の取り組みが花開いたものだと同氏は見ている。

 「最近気付いたことなんですが、Webやインターネットについて自分が語っている内容って、当時も今もほとんど変わっていないんです。Webのクライアント技術は、90年代の第一次ブラウザ戦争の中でほぼ出尽くしているんですね。それが、ここ10年の間にインターネットのインフラ部分やクライアント端末が急激に進化したことで、一気に普及したということだと思います」

 従って、敗れたとはいえ、第一次ブラウザ戦争には大きな意味があったと瀧田氏は振り返る。

 「ブラウザ戦争があったからこそ、いろんなWeb技術が次々と生まれたんだと思います。その証拠に、その後IEが1人勝ちしていた時期には、新しい技術はほとんど出てきていません。当時その裏で、90年代に生まれた技術をオープン化して、標準化する取り組みがあったからこそ、今のWebの興隆があるのだと思っています」


 この続きは、1月16日(月)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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