“変化”を模索する世界(前編)何かがおかしいIT化の進め方(41)(1/4 ページ)

何か明るいニュースはないか、よい兆しはないかと目を凝らすがなかなかみつからない。厳しい時代を迎えるが、かすかにでも光がみえてくることを期待したい。

» 2009年03月26日 12時00分 公開
[公江義隆,@IT]

あらゆる事象を重層的に考えてみる

 20年前に世界中で共産主義体制が崩壊した。共産主義が求めるような全能の計画能力や倫理観は人間(為政者)には備わっていないこと、また競争のない組織では人間(労働者)は努力も進歩もしなくなることを示した。そしていま、自由競争経済が破たんした。

 自由競争の行き着く果ての、倫理観を失った人間の際限なく利己的で強欲な姿がさらけ出された。第2次世界大戦後、日本が半世紀にわたり培ってきた“経済至上主義”“会社中心社会”もまた行き詰まり、人間が感じる幸福感とのベクトルを乖離(かいり)させ、社会の不安と閉塞感を増大させている。

 「人間とは何か」を見失ったとき、文明は行き詰まる。宗教、民族、文明間の対立で世界が混沌とする中で、経済も大混乱となっている。地球温暖化、資源の枯渇問題など、経済が求めてきた“スピード”は破滅への時間を縮めることに通じるようにさえ思える。しかし、民主主義の政治のスピードは、この事態の変化速度に付いていけていない。

 今回は少し多方面の問題に触れた。今後われわれはどう考え、どう行動すべきなのか、答えを模索するうえで、互いに関係し合う実にたくさんのことを考えなければならない複雑な世の中になってしまったからだ。問題を一面からだけとらえて「分かりやすいのがよい」では済まない時代になった。いま、人・企業・社会・国はそれぞれに、哲学・理念レベルからの思考が求められている。

後ろを向いてエスカレーターに乗っているような日本

 いま進んでいる世界的な金融・経済の危機を追えば、サブプライムローン問題が一般に知れ渡ったのは一昨年の夏だが、それ以前から、欧州ではスペインの住宅バブル崩壊、中国では上海市場の株式の下落などが起こっていた。しかし、1年前には、世間はそれらをローカルな問題として扱い、楽観的であった。

 わが国では「日本はバブル処理に10年かかったが、米国は素早く動くはずだから1年でかたが付く」などという専門家の見方がマスコミを賑わしていた。自動車の新車販売台数は2005年ごろからすでに下降傾向にあったが、自動車産業は在庫調整に向かう様子はなく、また世間も彼らに盤石の信頼を置いているかのようであった。

 秋になって、米国で老舗の大手投資銀行(証券会社)が破たんした。世界中で大騒ぎになり、米国モデルからの脱出を模索するあからさまな発言や動きが出てきたが、日本は「日本の考え方は米国と欧州の間」などと言葉を濁し、立場を明確にはしなかった。政府は「日本は金融危機をうまく解決した経験を持つ。日本の成功経験を世界に教える。日本の経済は健全(注1)」と胸を張っていた。「対岸の火事」と見るような楽観的傾向が続いた。


注1: その後、今年1月にIMFが2009年度の先進国のGDP見通しを発表している。全体平均は-2.0%、米国は-1.6%、EUは-2.0%、日本は-2.6%と日本が1番厳しい数値となっていた。その後、日本政府の発表では昨年度第3四半期のGDPの落ち込みは10%を超えるものであった。


 この直後、日本の大手銀行は、米国の金融企業に巨額の資本を投入し資本参加した。そのわずか1カ月後、その大手銀行自体が多額の増資を発表することになった。日本の大手証券会社も、いち早く、破たんした大手投資銀行の一部組織を、従業員の高額給料を保証したまま引き取ると発表した。「業務ノウハウとアジア、中東、欧州の市場を手に入れるのが目的」とされ、「現時点で最も重要なことは、(引き取った会社の)株式、投資銀行の両部門が業務を即刻再開し、グループの一員として活躍してくれることである」と説明された。

 「従来の金融業務の在り方が問題」として世界が見直しに動いているときに、破たんした金融業務、つまり言葉は悪いが“バクチのノウハウ”と、破たんしたマーケットを入手するためという、その大手証券会社の説明が私にはよく理解できなかった。「この商売は簡単には変わらない」との判断から、こんなときこそ周回遅れを取り戻す好機と考えたのか、あるいは、さらなる深謀遠慮があったのだろうか、知るすべはないが、その大手証券会社も年度末を控えて増資を発表することとなり、株価は下落した(ちなみに、同時に買収した大手投資銀行のインドのIT関連子会社には合計1200人のIT技術者がいるという)。

 1990年以来、日本はバブル処理に手間取ったお陰で、金融機関はデリバティブ(金融派生商品)などには、まだあまり手を染めていなかった。私はこうした一連の動きを見ていて、この“出遅れ”による結果をチャンスととらえるのではなく、先達が失敗したコースをまだ追おうとしているかのようで大変気になった。

 日本の社会や組織は「一枚岩」ゆえに、一方向に進むときには抜群の効率性を発揮し、また緩やかな変化にはうまく変身して対処していく。しかし一方で、急な変化に際しての、内からの対応が苦手である。並行してほかの道を考えている人がいないから、変化に気付くのが遅れ、対応方法が分からないことになる。

 また、自らの間違いを自分からいい出したくないのは人の常であるが、間違いを正すには間違いを明確にすることが必要になる。全会一致をよしとする一枚岩、すなわち全員を関係者に巻き込む日本では、過去を顧みて総括することが難しい。

 イラク戦争を始めた米国や英国では当事者がその間違いを認め、それを明らかにした。しかし、いち早く米国の戦争を支持した日本政府は、問題をうやむやにしたまま現在に至っている。思えば第2次世界大戦の戦争責任についても、“敗戦”を “終戦”で押しとおし、「一億総ざんげ」などといって、うやむやにしたままなのだ。

 われわれの日本社会は、エスカレーターに後ろを向いて乗っているようなところがある。前へ動いているのに、前を見ていないから認識と反応が遅れる。世の中が下降局面に変わってきても、過去の上昇局面にあった楽観的意識からの切り替えが遅れ、逆に世間が上昇に転じても悲観論からの脱却がなかなかできない。反面、何かの大きなきっかけで局面の変化が伝わると、世間がいっせいに反応するため、反応は極端になりがちである。マスコミがこの傾向に過大に拍車を掛ける。こんな日本の特性を認識しておく必要があると思う。

 お人よしといわれるわれわれ日本人は、よほど意識していないと、かじられるだけすねをかじられて、そのうえ最後にジョーカー札を引かされる羽目になりかねない。

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