ランチェスターの法則
Lanchester's laws / law of Lanchester
戦場で2つの戦闘単位が戦うとき、それぞれの戦力と損耗量が時間の推移にしたがってどのように変化するかを表した数理モデルのこと。古来、経験的に知られていた敵兵力の分断、各個撃破が求められる理由をはじめて定量的に示した。
後に戦争一般を対象とする戦略理論に拡張され、さらにそれが販売やマーケティングに関する経営戦略理論であるランチェスター戦略 を生み出す理論的背景となった。
ランチェスターの法則は、英国の自動車や航空機の発明家・技術者であるフレデリック・W・ランチェスター(Frederick William Lanchester)によって発表された。ランチェスターは1914年、第1次世界大戦の勃発に刺激を受け、航空機が戦争を大きな影響を与えるであろうことを述べる連載記事を技術雑誌に掲載した。この記事は1916年初めに『Aircraft in Warfare: the Dawn of the Fourth Arm』として刊行された。
この記事の中でランチェスターは、火砲や小銃などの近代兵器を使った戦いは、剣や戦斧、盾を使った古代の戦いと違い、戦場に投入した兵力がそのまま攻撃に参加できることから、「戦力とは兵力数の2乗に個々の単位の武器効率を乗じたものに比例する」として、次の数式を示した。
ランチェスター N2 の法則
b=青軍の兵力 r=赤軍の兵力
M=青軍の武器効率 N=赤軍の武器効率
これは例えば赤軍5、青軍3が激突したとき、兵力比は5:3でも戦力比は52 :32 =25:9で圧倒的に青軍が不利であることを表したものである。また、赤軍と青軍の各戦闘単位が受ける攻撃の量が違うと考えることもできる。
赤軍5
青軍3
赤・青両軍の各戦闘単位は相手に均等に攻撃を加えると考えたとき、赤軍の各単位は攻撃目標が3つあるため、攻撃力1が分散されて、青軍各単位に3分の1の量の攻撃を与える。同様に青軍は目標が5つのため、赤軍各単位が受ける攻撃量は5分の1となる。赤軍の各単位は青軍から5分の1の攻撃を3カ所から受け、青軍の各単位は赤軍から3分の1の攻撃を5カ所から受けることから、両軍の各戦闘単位が受ける攻撃の量には大きな差があることが分かる。(なお実際の戦闘では通常、火力の集中が見られる)
1
5
×3:
1
3
×5
=9:25
ランチェスターのN2 の法則は、書籍として出版されたことから広く世界に知られた。海軍の軍備制限を話し合ったワシントン会議(1921〜1922年)やロンドン会議(1930年)で、米英と日本の間での戦艦などの保有比率に関して激論が戦わされたのは、交渉関係者がこの理論を知っていたためといわれる。
第2次大戦の初期、バトル・オブ・ブリテン(英国本土決戦)で迫りくるドイツ空軍兵力に対して、劣勢な英国は少ない航空兵力の配分を決定するために、OR チームがランチェスターの法則を利用した。やや遅れて、米国海軍ではドイツのUボートに対応して輸送船団を編成するに当たり、学者を徴用してORチームを編成した。このORチームはランチェスターが遺した法則を時々刻々の変化を表す微分式にして「1次法則」「2次法則」の形に整理、コロンビア大学数学教授のバーナード・O・クープマン(Bernard Osgood Koopman)が連立微分方程式の解法を導いた。1次法則はランチェスターのいう“古代の一騎打ち”、2次法則は“近代の集団戦闘”を説明する。
ランチェスターの1次法則
ランチェスターの2次法則
m=赤軍の残存兵力 m0 =赤軍の初期兵力
n=青軍の残存兵力 n0 =青軍の初期兵力
E=交換比(赤軍の損失と青軍の損失の比)
さらにクープマンらは、局地戦闘に限定されていたランチェスターモデルを戦争全般に一般化する作業に取り掛かった。1回の戦闘は与えられた兵力を使って戦われるが、実際の戦場では兵力増強や物資補給が行われる。さらに国家総力戦の観点から見れば、国内ないし勢力範囲内で兵員の訓練や武器の生産による総戦力のプラスの変化も考慮しなければならない。クープマンらORチームは戦力増加の要因に補給・生産の概念(生産・補給率)を導入し、減少要因として2次法則の残存兵力、および武器効率(技量や立地なども含む)、そして補給における自軍の残存兵力(補給には補給部隊が必要である)を加味した、一般化ランチェスターモデルを設定した。
ランチェスター一般化モデル
dm
dt
=
P−an−cm,
dn
dt
=
Q−bn−dm,
赤軍:mt =残存兵力 P=生産・補給力 a=武器効率 c=補給兵力
青軍:nt =残存兵力 Q=生産・補給力 b=武器効率 d=補給兵力
一般化したランチェスターモデルでは生産・補給率を定数と仮定していたが、1940年代になって敵の生産工場や補給拠点を攻撃するという考え方が顕著になり、定数扱いすることが適当とはいえなくなってきた。米国海軍ORチームは戦力のうち、敵の生産・補給力を攻撃する部分を「戦略力」、敵の戦力に対して攻撃を行う部分を「戦術力」として、モデルの拡張を図った。戦略力は相互に相手の生産・補給力を減じようとし、戦術力は相手の戦略力と戦術力を減じようとする戦力である。
この拡張モデルでは、指揮官が戦術力/戦略力の配分を決定するに当たり、相手の出方をうかがうことになる。そこでゲームの理論 を援用して均衡解を得た。赤軍にマクシミン原理 を、青軍にミニマックス原理 を当てはめ、式を整理していくと、ランチェスター戦略モデルが得られる。
ランチェスター戦略モデル
dm
dt
=
P−Pβ
n s 2
m t
−α(nt +mt );
dm
dt
=
Q−Qβ
m s 2
n t
−α(mt +nt )
赤軍:mt =戦術兵力 ms =戦略兵力 P=生産・補給力
青軍:nt =戦術兵力 ns =戦略兵力 Q=生産・補給力
βは生産・補給力からの影響、αは戦術兵力からの影響
ランチェスター戦略モデルでは戦力全体が均衡条件にあり、赤軍・青軍の生産補給力、戦力が互角であるとき、両軍ともに戦力の1/3を戦術力に、2/3を戦略力に割り当てれば均衡する。均衡条件は2つあり、第1均衡条件は相手の戦力の上限(戦力差がありすぎる場合は妥当しない)、第2均衡条件は戦術力は前戦力の2/3以下にとどめること、である。
このモデルは1942年には完成しており、第2次大戦の対日作戦に用いられた。米軍が中部太平洋の島々への上陸作戦で守備側(日本軍)の3倍の兵力を投入したり、海上通商破壊戦を展開したのはランチェスター戦略モデルの影響といわれる。
戦後、ランチェスター戦略モデルはORの知識として日本に紹介され、やがて企業経営に応用されるようになる。1960年代、田岡信夫と斧田太公望はこのランチェスター戦略モデルを企業の競争戦略に当てはめてシェアの目標数値 を導き出し、「ランチェスター戦略」を生み出した。
参考文献
『オペレェイションズ・リサーチの方法』 フィリップ・エム・モース、ジョージ・イー・キンボル=著/日本科学技術連盟=訳/JUSE出版社/1955年9月(『Methods of Operations Research』の邦訳)
『企業間競争と技術』 /昭和同人会=編/東洋経済新報社/1960年12月
『競争市場の販売予測――ランチェスター戦略から情報管理まで』 田岡信夫=著/ビジネス社/1971年11月
『競争に勝つ科学――ランチェスター戦略モデルの発展』 斧田大公望=著/開発社/1980年1月
『情報化時代の戦闘の科学――軍事OR入門』 飯田耕司=著/三恵社/2004年10月
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