デスクトップLinuxの可能性

Ubuntu Linuxが注目される理由

2007/10/22

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 10月18日にリリースされたDebian GNU/Linuxの派生ディストリビューション「Ubuntu 7.10」(ウブントゥ)が英語圏で非常に注目を集めている。デスクトップOSとして、Windows VistaやMac OS Xに対する代替OSとなれるものがあるとしたら、その座にいちばん近づいたLinuxディストリビューションはUbuntuだという。

 ニューヨークタイムズやウォールストリートジャーナルといった一般紙までもがUbuntuを記事に取り上げ、ブログやソーシャルブックマークサイトでも日々誰かがUbuntuについて何かを言って話題になっているような状態だ。

「Just works」(ちゃんと動く)

 Ubuntu Linuxが掲げているウリ文句は「導入後すぐ、ちゃんと動く」(Just works, out of the box)。これは既存のLinuxユーザーに対しては誇張のない表現だ。インストールはかつてなかったほど簡単で、無線LANやグラフィックデバイスなど驚くほど何でもハードウェアが動く。

 私は7月に前バージョンの7.04(Feisty Fawn)をインストールし、それを今回アップグレードした形だが、すでに7.04の段階でも完成度は高かった。

 無線LANやサスペンド機能は、何も設定しなくても動いていた。ATIの非オープンソースドライバについては、「制限付きドライバを入れる必要がある」とバルーンメッセージで促され、ただバルーンをクリックするだけで一発インストールまでしてくれるという親切設計だ。新バージョンの7.10ではOpenGLに対応したグラフィックドライバが使える環境を自動判別し、3Dデスクトップ環境を自動で構成してくれる。

 MP3ファイルをクリックすると、メディアプレーヤーが起動して「必要なコーデックをダウンロードしますか?」とまで聞いてくる。現在のところ法的にグレーな問題があるものの、その気になればDVD再生も行える。デスクトップ環境として完結しているのだ。

ubuntu01.png Ubuntu 7.10では3Dデスクトップ環境のCompiz Fusionを標準サポートする。Windows VistaやMac OS Xよりも、ずっと派手な3D効果を多く備えている。クールだというユーザーもいれば役立たずの飾りに過ぎないというユーザーもいて賛否両論

“苦行”だったLinuxの導入・運用

 上に書いたようなことは、どれもWindowsでは動いて当たり前のことだが、LinuxをデスクトップOSとして使おうと思うと、これまでは導入や運用で苦労が絶えないのが普通だった。

 インストールのパーティションの切り直しで苦労する。デバイスドライバで苦労する。アプリケーションやウィンドウシステムの設定でも苦労する。日本語入力で苦労する。データ形式の互換性で苦労する。自分に必要なすべての設定を終えて安定運用するようになれば非常に快適なのだが、そこに至るまでの道のりは、ほとんど苦行に近い。

 いちばん最近に私が体験した苦行は、こんな風だ。

 昨年(2006年)の夏、ThinkPad T60にDebian GNU/Linux(etch)をインストールしたのだが、諸々の設定をするのに1週間ほどかかった。シリアルATAサポートのために最新版のカーネルをダウンロードしなければならなかった。無線LANを使うためにカーネルにIEEE 802.11サブシステムのパッチを当て、さらにインテルのWebサイトから2種類必要だという無線LANドライバをダウンロードしてコンパイルした。ATIのグラフィックドライバも自分でダウンロードした。標準で機能しなかったサスペンド機能の代わりに、別のサスペンドソフトをコンパイルして入れる必要もあった。ハードディスクへイメージを書き出すハイバネーションに対応するために、スワップパーティションを新たに作り直し、イメージ書き出し時に圧縮と暗号化を行うために、それらに対応するカーネルのシステムコールを有効してリコンパイルする必要もあった。

 こうした導入設定は1本道ではない。ネット上を探し回り、ドキュメントを大量に読み込んでようやっと不具合の原因と対処法に当たりをつけ、試行錯誤で対策を講じるという作業の繰り返し。ドキュメントを読んだりスクリプトの内容を追っている間に、最近のPCというシステムがどういう仕組みで動いているのかが見えてくるという楽しさがないわけではない。しかしそれはPCを使うという目的からすれば、本末転倒だ。

デスクトップOSとして見たときのLinux運用の苦行

 運用という面でもLinuxユーザーを悩ませてきた問題がある。いかに最新のソフトウェアを導入するか、という問題だ。カーネルを含め、Linuxシステムを構成するソフトウェアやライブラリは個別に進化を続けている。これらを手作業で個々に最新の状態に保つのは、きわめて困難だ。数が多いうえに、ライブラリのように、ほかのソフトウェアと密接に関連しているものも多いからだ。セキュリティパッチを当てるようなマイナーなアップデートだけなら簡単だが、メジャーバージョンアップとなると難しい。新たに必要となるライブラリや、ライブラリのバージョンアップ、既存システムへの副作用といったものを把握できないため、勢いOS自体のバージョンアップを待つことになる。例えば、OpenOfficeやデスクトップ環境のGNOMEなどは、影響範囲が広すぎるため、おいそれとバージョンアップできない。

 サーバOSとして使うのであれば、いったん稼働したシステムについてセキュリティパッチ以外は適用する必要がないだろう。しかし、進化の速いデスクトップ環境で個々のソフトウェアの機能向上の恩恵を受けるためにバージョンアップしたくなるのが人情だ。

Debianのパッケージシステムが抱えていた問題

 UbuntuはDebian GNU/Linuxから派生したディストリビューションだが、Debianは、早い時期からこうした問題に対処するために「パッケージ管理システム」を導入している。今ではRed Hat LinuxやSUSE Linuxでも同様のパッケージ管理システムを持っている。例えばGNOMEのように多数のモジュールが関連している巨大な構築物であっても、パッケージ管理システムを使えば容易にインストールやバージョンアップができる。パッケージ同士の依存関係やバージョンの依存関係がメタ情報としてパッケージファイルに含まれているため、必要なライブラリは自動的にインストールされるようになっている。

 Debianはネットワーク上にパッケージの共通リポジトリを持っている。このリポジトリは非常に充実しており、およそ名前が知られているソフトウェアであれば、ほとんど何でもコマンド1つでインストールが可能といっても過言ではない。アンインストールについても同様に、非常に簡単に、クリーンに削除ができる。

 ネットで検索し、ダウンロードし、それからsetup.exeでインストールというWindowsのフリーウェアと比べると、むしろこの部分ではLinuxはWindowsよりはるかに先を行っているといえる。これは世界中にボランティアのパッケージ管理者が何千人といるからこそ実現しているシステムだ。

 しかし、Debianプロジェクトは巨大になりすぎた。

 パッケージ数や関係する開発者数が膨大になった結果、メジャーリリースが延期に延期を重ねるという事態が常態化してしまった。メジャーバージョンアップの間隔は間遠になり、いったい次のバージョンがいつになったら正式リリースされるのか、誰にも分からなくなってしまった。

 Debianプロジェクト創始者で、今は米サン・マイクロシステムズに移籍したイアン・マードック氏は、これをリーダーシップの欠如の問題だとしている。その真相は部外者には分からないが、あるいは民主的に過ぎたのかもしれない。

 ともあれ、Debianでは究極の選択を迫られる。トラブルが少なく、セキュリティパッチも提供されている古いバージョンを使うか、それともトラブルが起こりえる最新開発版や不安定版と呼ばれるバージョンを使うのか――。サーバOSなら迷わず安定版を選ぶだろう。しかし進化の速いデスクトップ環境となると1年とか2年の時間はあまりに長い。

 開発版を使えば、常に最新のソフトウェアが使えるが、リスクも大きい。個々のパッケージの品質にはかなり差があり、スクリプトにタイプミスが含まれたままリポジトリに登録されているパッケージもある。そうしたタイプミスのおかげでインストールスクリプトが途中で止まるのは珍しくない。私が最近聞いたいちばんひどい話は、あるパッケージに含まれていたバージョン番号のタイプミスのおかげで、システムの大半(GNOME環境全部)が吹っ飛んだという笑えないものだ。

創業者はIT億万長者にしてアフリカ人として初の宇宙旅行者

 多くの人が認めるように、Ubuntuは「ちゃんと動くDebian」だ。Ubuntuはコミュニティベースのチームが開発を行うフリーの(そして永遠にフリーであることを宣言した)ディストリビューションだが、やや変わった出自を持っている。

 Ubuntuプロジェクト創始者のマーク・シャトルワース氏は2005年に、約1000万ドル(約12億円)の私財を投じてUbuntu財団を設立。開発とサポートにコミットしている。そのコミットメントがあったことと、従来の技術者寄りのユーザーが好むメーリングリストではなく、誰にでも使えるWebブラウザベースのコミュニティサイトでの交流を促したことから、Ubuntuは多くのユーザーや開発者を集め、みるみるうちに完成度を高めていった。

 南アフリカ共和国出身のシャトルワース氏はアフリカ人初の宇宙旅行者としても知られている。1995年、22才のときに始めた電子認証局ビジネスが成功。1999年に米VeriSignに対して5億7500万ドル(約650億円)でその会社を譲渡している。

 シャトルワース氏は、Linuxをはじめとするフリーソフトウェアの存在があって初めて成功できたのだから、自分はLinuxコミュニティに恩返しをするべきだと考えているようだ。ディストリビューション名の「Ubuntu」にも、そうした思いが込められている。UbuntuのFAQページによれば、Ubuntuというのはアフリカで話されている言語から持ってきた単語で、「ほかの人と共にあること」という人間性を指す言葉だという。共有や総意、共生といったことを重んじる精神を表す言葉で、それは「美しすぎて英語には訳せないと言われている」とまでFAQに書いてある。

 Ubuntuの標語は「人々のためのLinux」(Linux for human beings)。オープンソースムーブメントは、必ずしも技術的な良さだけで広がったわけではなく、相互扶助の理念と経済性とが人々の共感を得てきた面があるだろう。Ubuntuは、そうした理念を最も純粋な形で表明したLinuxディストリビューションでもある。

6カ月ごとにリリースするというUbuntuのコミットメント

 Ubuntuの品質は高い。まず、インストーラやパッケージの品質が高く、エラーや不具合が少ない。そして何より、いつ次期バージョンが出てくるか分からないDebianに対して、Ubuntuは必ず6カ月おきに最新バージョンをリリースするというコミットメントを行っている。2004年10月以来、これまで過去7回のリリースで、Ubuntuチームはこの約束を守っている(訂正:昨年6月のUbuntu 6.06のリリース時には予定していた期日に2カ月遅れたことがある)。

 サポートについても明確にコミットメントを公表している。シャトルワース氏が創設したカノニカル社が有償サポートを提供するほか、UbuntuチームはLTS(Long Term Support)版と呼ばれるリリースではデスクトップ版で3年、サーバ版については5年の期間のサポートを明言している。

 インストーラも秀逸だ。

 UbuntuではインストールCDはブータブルCDの1枚のみ。LiveCDとしても使えるインストールCDでUbuntuを起動したら、デスクトップ上のインストールアイコンをクリックするだけでインストールが行える。Windowsとのデュアルブート環境を構築するために必要な作業はインストーラが半自動で行ってくれる。Windows上のブックマークやドキュメントも、Linux側にインストールされる。

 これは従来のディストリビューションで数枚から十数枚にも及ぶことがあるインストールCDとは比較にならないシンプルさだ。あらかじめ推奨ソフトウェアが1枚分にまとまっているという意味でも、これまでのLinuxディストリビューションとは「初心者への配慮」という面で違いが感じられる。私はDebianをインストールするたびに、数千項目にも及ぶパッケージリストを1時間とか2時間かけて斜め読みして、自分が使いたいソフトにチェックマークを付けたものだ。

 そういう時代のLinuxディストリビューションとは一線を画す、誰にでもすぐ使えるLinux。そういう文脈でUbuntuは注目を集めている。

Linuxデスクトップ自体も成熟

 ここまで書いたようなことだけがUbuntuの良さであれば、導入や運用にウンザリしているLinuxユーザーの注目を集めることはあっても、Ubuntuが一般の耳目を集めることはなかっただろう。

 Ubuntuが注目されている背景には、メディア的にキャッチーなメッセージがいくつか重なったことがある。デルがLinux搭載マシンを出荷し始めたことも1つだし、宇宙旅行者というシャトルワース氏の肩書きもプラスに働いただろう。派手な3Dデスクトップのアクションが注目された面もありそうだ。

 しかし、そのほかに大きいのはLinuxと、Linuxを取り巻く環境の変化だ。GNOMEやKDEといった、いわゆる「デスクトップ環境」が、いよいよ成熟してきたという理由もあるだろう。キー配列やディスプレイ解像度、ネットワーク設定など何をするにもテキストエディタで設定ファイルを書き換えていたのは昔の話。今ではGUIで設定を変えられる。かつて複雑なコマンド操作が必要だったフォントのインストールも、今ではアイコンのドラッグ&ドロップで可能になった。フォントの表示環境はWindows XPよりも進んでいる。LinuxではVista同様にサブピクセルを活用したClearTypeフォントの表示に対応しており、Webブラウザでもデスクトップでも美しい文字の表示が可能だ。

 Linuxを取り巻く環境の変化としては、ほかにもOpenOffice.orgが、マイクロソフトのオフィス製品の代替として現実味を帯びてきたということもある。Linuxサポートに本腰を入れるデバイスメーカーが増えたことも大きい。

 OSとハードウェアのインターフェイス規格の標準化が進んだことで、自然とLinuxのデバイスサポート状況が改善している面もある。USBデバイスが、その典型だ。例えば、かつて独自プロトコルを採用していたデジカメ類は、現在ではUSBマスストレージかPTP(Picture Transfer Protocol)のいずれかを採用するケースが大半で、Linuxでも難なく接続できる。別の例にイー・モバイルの高速モバイル通信PCカードというのもある。Windows向けにしかドライバが提供されていないが、USBモデムとして実装されているため、Linuxでも簡単な設定だけで使える。

 PDFやFlashムービーといったWeb系のデータフォーマットが普及してマルチプラットフォーム化が進んでいるのもLinuxデスクトップへの追い風だろう。日本語環境についても、フリーフォントの充実、モダンな日本語入力システムの登場、システム全体で文字コードがUTF-8にほぼ統一されたことなど、ここ数年での進歩は大きい。FirefoxやOpenOffice.org、グラフィック編集ソフトのGIMPといった定番のソフトウェアを使っている限り、Windowsデスクトップと何ら変わらないというところまで来ている。印刷環境に至っては、Mac OS Xが採用するのと同じ「CUPS」(Common Unix Printing System)が使われており、ほとんどのプリンタは接続すれば、すぐに動くという。

 12年もの長きにわたって実験実装でしかなかったLinuxからのNTFSパーティションの読み書きが、Ubuntu 7.10で標準サポートとなった。細かいことのように思うかもしれないが、これも実用上は大きな意味を持っているだろう。

 こうしたことは、実はUbuntuだけに当てはまるものではない。個々のLinuxディストリビューションは独自ツールや強みを持っているが、多くのソフトウェア環境はあらゆるLinuxディストリビューションで共通だ。ヨーロッパではopenSUSEが完成度を高めて人気だし、まもなくリリースされるはずのRed Hat Linuxのデスクトップ版も、今までにない完成度となって登場することだろう。

デスクトップOSとして現実的な選択肢のとなるか?

 Ubuntuを巡って人々が延々と議論しているのは、デスクトップLinuxが、WindowsやMac OS Xと並ぶような、デスクトップOSとしての選択肢となりうるかという問いだ。

 この問いは「デスクトップOS」とは何かを定義しないと意味がない。もしそれが田舎に住む母が使うものという意味なら、答えはノーだろう。誰も年老いた母に苦労をかけたくはないものだ。

 いくらUbuntuが「ちゃんと動く」といっても、Windowsと比べてしまうとトラブルや困難が多い。私のUbuntuは7.04から7.10にアップグレードしたとたん、サスペンドが使えなくなったうえに頻繁にフリーズするようになった。これはATIが提供している非オープンソースのグラフィックドライバが、最新のカーネルで変更されたキャッシュメモリの扱い方法に対応していないために引き起こされているらしいことまでは分かっている。しかし、この問題に対して誰も根本的な解決を提供できていない。「ATI側の問題だから修正したくてもできない。だからプロプライエタリ(非オープンソース)なドライバでは駄目なんだ」と、いくらUbuntuユーザーがATIに対して憤ったところで仕方がない。Ubuntu 7.10が正式リリースされる前の2週間ほど、この問題に対してUbuntuコミュニティや開発チームがどう反応するのかを私は傍観していた。ATIチップセットを検出したら1つ古いバージョンのカーネルをインストールするようにするべきだとか、パフォーマンスは悪くてもトラブルのないオープンソースのATIドライバを提示すべきだとか、Ubuntuのリリースを遅らせるべきだという極端なものまで、さまざまな意見が出た。しかし開発チームの1人とおぼしきメンバーは、時代遅れになった個別のドライバのバグために回避策を講じるほど開発リソースに余裕はない、とした。無理からぬこととはいえ、現段階でのデスクトップLinuxの限界を見た思いだ。

 LinuxやGNOMEの自由度の高さも問題かもしれない。私のUbuntuデスクトップは、ふとした拍子にメニュー項目が全部吹っ飛んだ。単にまた設定すればいいだけのことだが、Windowsでスタートボタンが消えてなくなることなどあるだろうか?

 Linuxカーネルがバージョン0.99、Windowsがまだバージョン3.1だったころから、私は過去13年ほど常用するデスクトップ環境としてLinuxとWindowsの間を1、2年おきに行ったり来たりしている。Linuxにスイッチするたびに、その進化に驚かされる。もともとLinuxというシステムが持っている軽さ、安定性、透明性や、Unix全般が持つシステムの柔軟性や拡張性にも感動する。しかし、逆にWindowsに戻るたびに感じるのはOSを取り巻く環境まで含めたその品質の高さだ。業界の大小のプレーヤーを巻き込み、長期間をかけてハードウェア、ソフトウェアともテストされたWindowsというシステムの品質に、Ubuntuは足下にも及ばない。カーネルと一握りのサーバソフトウェアだけが重要となるサーバOSとしてのLinuxは高い評価を得てきたが、デスクトップ環境としてのLinuxは、まだ課題を多く抱えているといわざるを得ない。

 デスクトップLinuxに可能性があるとすれば、例えば業務システムのシンクライアントとして、主にWebブラウザだけを使うようなケースだろう。場合によってはオフィスアプリケーションまで含めてLinuxにスイッチできる領域も増えつつあるかもしれない。あるいは図書館などの施設に設置する案内用端末や、街角のキオスク端末、学校での教育用PCならば、むしろLinuxのカスタマイズ性の高さとオープンソースということがメリットになるだろう。

(@IT 西村賢)

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