[Analysis]

iPhoneやAndroidは何がケータイと違うのか

2008/09/29

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 20歳以上も年下の“メル友”が何人かいる。その1人に対してある日メールが送れなくなった。「メアド変えました」というメールに対してメールを送り返そうとiPhone(=Gmail)で新しいアドレスを入れると、どうもエラーで弾かれてしまう。何か挙動がおかしかったので調べたところ、SMTPやメールアドレスの仕様を規定するRFC2821に違反したメールアドレスだったのだ。

 ご存じの方も多いだろうが、NTTドコモやauのサービスでは、メールアドレスのユーザー名に連続したドット(.)を含めることができる。ユーザー名がドットで始まったりドットで終わるようなアドレスも設定可だ。しかし、これらはRFCに違反しているため、MTAやメールクライアントが受け付けないケースがある。ExchangeサーバやGmailといったサービスもそうだ。

 10代のケータイ利用者が(私のような30代後半にとって)不思議なのは、かなり頻繁にアドレスを変更することと、ユーザー名に思いつきの記号や単語を絵文字のように羅列することなのだが(ビジネスマンと違い、電話など口頭で伝えることがないのだろう)、そうした彼らにとってドットをたくさん入れるのは、いたってふつうのことらしい。

モバイル・インターネット普及度、堂々1位は米国?

 調査会社のニールセン・モバイルが2008年7月に発表した国別モバイル・普及率の調査結果を見て驚いた。1位が15.6%で米国、2位が12.9%でイギリス、3位が11.9%でイタリアなどとなっているのだ。これにロシア、タイ、スペインなどが続き、最下位のインドネシアが1.1%。レポートは米国、イギリス、イタリアがモバイル・インターネット普及のリーダー的市場で、米国は広告媒体としてクリティカルマスを超えた、と報告している。

 日本や韓国は? オーストラリアは? 北欧は?

 調査対象とした16カ国のデータとして嘘はないのかもしれないが、あまりにも調査対象国が恣意的だ。調査を依頼したのが米国の広告業界大手で、米国の広告主に対してある種の証拠を出したかった、というところだろうか。

 さて、いきなりケータイのメアドの話、モバイル・インターネットの普及率に関する謎の調査結果と、脈絡もなく2つのエピソードを並べたが、私にはこの2つの根底には同じテーマが横たわっているように思われる。それは、日本ではモバイル・インターネット市場など、まだ立ち上がっていないのではないかということだ。

 電子メール1つを取ってみても、極めて非インターネット的だ。総務省がインターネット利用者の統計調査にケータイのメールユーザーを含めるのは、そもそも何かヘンなのではないか。

日本の“ケータイ”は失われた10年に

 日本のケータイを使えば、確かに多くのWebサイトを利用できるし、フルブラウザもあるのだが、しょせんはインターネットを限定的に利用できる特殊な通信端末でしかない。日本のケータイは、インターネット端末と呼べるものだった試しなどない。そしてケータイは、かつてNECのPC-9801帝国がDOS/V時代の到来で瓦解したように、あるいはワープロ専用機がパソコンに市場を奪われたように、今後5年程度で消え去ろうとしているように思われるのだ。

 今後10年はモバイル・インターネットの時代になるだろう。それは過去10年間のインターネットよりも、われわれの経済やライフスタイルに大きなインパクトを与える可能性がある。そのモバイル・インターネットの到来を告げる初めてのデバイスがiPhoneだった。アメリカ人はiPhoneでモバイル・インターネットの可能性に気付き、一斉に走り出した感がある。iPhoneはヨーイ・ドンの号砲を鳴らし、人々を目覚めさせた功績だけでも、売れた台数と無関係に歴史に名をとどめることになる象徴的なデバイスだ。

 このまま行くと、これまでの日本のケータイは“失われた10年”になりそうだ。日本は真っ先にモバイルブロードバンドの可能性に気付いた国だったが、世界市場では何の存在感もないままに独自規格と閉じたネットワークにこもってしまった。ノキアやサムスンが何億台も売る一方、シャープですら1000万台程度。台湾ベンチャーのHTCはスマートフォンだけで累計出荷台数が1000万台を超えていて、いま米国でT-MobileとともにAndroid搭載のグーグルフォンを発表した(参考記事)。先週ニューヨークで行われたAndroid対応第1号端末の発表会をストリーミングで見ながら私は、あの場に日本人がいないことが象徴的だと思った。

 iPhoneは、新時代の幕開けを告げる露払いとしてマイナーなまま鳴かず飛ばずになる可能性もあるが(それでも最終的な着地点は全世界で1000万台との予測がある)、次に来るAndroidの波はもっと大きくなるはずだ。iPhoneは地震で言えば初期微動のP波で、次のAndroidの波がS波だろう。専門系メディアやギークたちはP波で騒ぎ、それに一般メディアも乗ったものの、端末としてのセクシーさをのぞくとiPhoneには使いづらい面もたくさんある。そのため現在は失望の声や、iPhoneは裸の王様だったというような批判が目立つようになっている。「あんまり揺れてないぞ」というわけだが、それはそのとおりだろう。まだ地震は前兆しか来てないのだから。

 例えばKDDIの小野寺正社長は9月7日の会見で、iPhone不振は「想定内」と言ったそうだ。iPhoneを一時的なブームと断じ、スマートフォンより日本のケータイのほうが使いやすいという。もちろん「iPhoneが想像より売れてなくてホッとしている」などと新参者に対する脅威を口にするわけにはいかないだろうから、トップの発言としては妥当だが、もし少しでも本気で言っているのだとしたら困る。日本のモバイル産業のリーダーは、次の10年も失うつもりなのだろうか。iPhoneが象徴している「モバイル・インターネット」を、たった1台のデバイスの売れ行きの初速だけで切り捨てるわけではあるまい。

iPhoneやAndroidは、これまでのケータイと何が違うのか

 最近は収まりつつあるが、iPhoneは毀誉褒貶が激しいデバイスだ。これには2つ理由があると思う。

 1つはiPhoneは、Web2.0的なインターネットの利用が便利だが、そうしたサービスをヘビーに使っているかどうかで評価が分かれることだ。写真はすべてFlickrなど共有アルバムに置き、TwitterやTumblrで情報を共有する。RSSでニュースを読み、予定やメールはクラウドでの管理を前提とする、というようなユーザーにはiPhoneは便利だ。こうしたユーザーにとってはカメラにマクロ機能があることよりも、撮影した写真を手軽にFlickrにアップロードしたり、逆に閲覧できたりすることのほうが重要だ。

 Web2.0という言葉を避けるなら、モダンなWebサービスといってもいいが、昨今のWebサービスやWebアプリケーションは、iモードやcHTMLといった静的な世界とは異なる動的なものになっている。Ajaxに代表される非同期通信もそうだし、マッシュアップと呼ばれるAPIを使ったWebサービスへのアクセスなど、“Web”では“ページ”の概念自体があいまいになってきているのだ。ケータイに搭載されているWebブラウザは静的なページをレンダリングする古いインターネットの世界のままだ。HTTP上で、あちらこちらのAPIを叩いて新しいサービスやアプリケーションを作ろうというときに、iアプリのように通信できるドメインが限定されてしまうようでは使い物にならない。あるいは動的にページを書き換えるDOM(JavaScript)が使えないWebブラウザは、今やWebアプリケーションプラットフォームとしては時代遅れだ。

 iPhoneやAndroidが日本のケータイと決定的に異なるのは、Webサービス(アプリーション)の世界がHTML5へと進化しようというときに、その最先端を切り開いているWebKitという高速でフルにインターネットの機能を提供するレンダリングエンジンを搭載している点だ。日本のケータイではCookieが扱えるか扱えないかなどという話がいまだにあるし、インターネット側から見れば、同一キャリアの端末がすべて同一IPアドレスに見えるなどという扱いづらい仕様もある。インターネット技術の世界で言えば、これには隔世の感がある。一方WebKitにはCookieどころか、ローカルDBの規格が実装され、GearsのようにローカルでHTTPサーバを動かして、オフライン時にWebアプリケーションを利用する仕組みまで入りつつある。さらに重要なのは、こうしたものがすべてPCと同じ“インターネット”の技術や仕様である点だ。すでに存在しているインターネットの世界が、そのままモバイルの世界でも通用する。

 iPhoneの毀誉褒貶が激しい理由の2つめは、ユーザー視点の評価と産業視点でのiPhoneの存在意義の論評がごっちゃになっているからだろう。iPhoneはユーザー視点で見れば、いろいろ斬新な点があるものの、日本のケータイユーザーにはそう驚くようなことは何もない。むしろ日本のケータイに比べて使いにくいところが目立つ。冒頭に書いたようにメールのやり取りですら困ることがある。顔文字も使えない。FeliCaもワンセグもない。iPhoneは使いづらいのだ。Webのヘビーユーザーにはほかに代えがたい利便性をもたらすが、日本のケータイユーザーには失うものが大きいというのも事実だ。

 これはユーザーの立場から言えば正論だ。しかし、自分にとって便利かどうかというユーザー視点でだけiPhoneを論じるのは正しくない。ましてiPhone苦戦の報に触れて、日本のケータイはやはりiPhoneよりも先進的だったなどと内向きの論理を展開していてはいけないと思う。

ソフトウェア時代の到来を告げる黒船

 産業界の視点で見れば、やはりiPhoneは黒船だ。日本のケータイ産業はこの動きにどう対抗するかという話になる。この視点で見れば、iPhoneはゲームのルールが変わったことを告げる端倪すべからざる端末だ。1つは、すでに書いたようにモダンなWebにキャッチアップした初めての端末であったこと。もう1つはソフトウェアドリブンの時代に突入したことを示した端末であったことだ。

 全面タッチパネルというデバイスが象徴しているが、もはや機能競争はソフトウェア競争やUI競争になったと言い換えてもいい。iPhoneを使えばすぐ分かることだが、ボタンというのはグラフィックのことだ。それはソフトウェアアップデートで何とでも変わるし、利用者が使っている場面場面で適切に変わるべきものなのだ。物理的なボタンのほうがいいものがあるのは否定しないが、ワープロ専用機の「印刷」「表組み」などのボタンが、ファンクションキーやドロップダウンメニューに取って代わられたのと同じことが、モバイル端末にも起こりつつあるのではないか。

 ソフトウェアドリブンということには、システムやアプリケーションについても言える。iPhoneはケータイなどではなく、どこからどうみても3年前のスペックを備えたPCなのだ。

 iPhoneは2度目のOSアップデートで、日本語入力のインターフェイスを変更したり、メニュー表示の方法を変更するなど、けっこう劇的な変更を行っている。PCと組み込み機器は非常に対極的で、ソフトウェアが更新可能かどうかは大きな違いだ。ケータイは組み込みだが、iPhoneは明らかにPCに近い。

 ユーザーがアプリケーションをインストールして使い勝手を向上できる点もiPhoneとAndroidが開いた世界だ。既存ケータイでもそれは可能だったと反論する人もいるかもしれないが、平均的iPhone利用者とケータイ利用者とでインストールしたアプリケーションの数を比較してみれば違いは明らかだろう。アップルのアプリケーション配信サービス「App Store」は、サービス開始以来1カ月で6000万ダウンロード、3000万ドル(約33億円)の売り上げを達成したという。日本のケータイ産業で売れているのは着うたぐらいだ。私の個人的な体験では、カレンダーソフトやメモツール、TODO管理といったアプリケーションを入れたことで、iPhoneはまったく別物というほどPIMとしての使い勝手が向上した。重要なのは、こうしたソフトウェアを端末メーカーやキャリアではなく、サードパーティーや個人の開発者が作っている点だ。

パンドラの箱を開けたAndroid

 iPhoneには足かせが多い。ビデオ撮影ソフトや、iPhoneをWiFiルータにするソフト、テキストをカット&ペーストするソフト、3GネットワークやWiFiでPodcastをダウンロードするソフトなど、アップルに登録を拒否されたアプリケーションは数多い。

 これは私の推測でしかないが(アップルは拒絶理由を公開していない)、大半はキャリアのネットワーク負荷を考慮してのことだろう。ただ、ワイヤレスの帯域は、技術革新と利用周波数帯の拡大で今後も増えていくだろうから、これらはモバイル・インターネットの興隆期特有の過渡的制限と見るべきだ。

 ここまでAndroidとiPhoneを同列に論じてきたが、実際には両者の違いは大きい。例えば、AndroidはiPhoneのようにPCとの同期を前提としていない。データはすべてクラウドサービス上に保存する。T-Mobile G1の発表会では端末のメモリやストレージ容量への言及は一切なかった(実際にはROMが256MB、RAMが192MB。ストレージはmicroSDカードのみ)。もはやAndroidはネットワークへの入り口でしかない。日本のケータイの高機能化は、主にスタンドアローンのデバイスとしての進化だったから、まったく方向性が異なる。

 AndroidとiPhoneのより大きな違いはオープンさだ。

 Androidはパンドラの箱を開けたかに見える。上記のようにアップルが拒否したアプリケーションの配布は誰にも止められない。キャリアは利用制限をかけることもできるが、いずれにしてもこれは歴史的な実験だ。例えば無線データ通信でVoIPを行うSkypeのようなアプリケーションもAndroidに載ってくるだろうが、蓋を開けてみればデータ通信の定額制でキャリアの収益的には御の字という結果になる可能性もある。

 iPhoneはオンラインストアをホストすることでグローバルマーケットを一夜にして登場させた。Androidでもグーグルがホストするアプリケーション配布プラットフォーム「Android Market」が同程度に立ち上がる可能性がある。iPhoneでは、例えばTrismというゲームを開発した個人の開発者が25万ドルほど稼いでゲーム会社を設立したという例があるなど、開発者にとって参入の魅力は大きい。Objective-Cというマイナーな開発言語であるにも関わらず、毎日10本近いアプリケーションがApp Storeで公開されている。

 Androidは標準ではグーグルのサービスにしか対応しないが(IMAPなど標準的なプロトコルには対応する)、例えばExchange対応のソフトウェアについて、米グーグルでAndroidチームを率いるモバイルプラットフォーム担当シニアディレクターのアンディ・ルービン氏は「サードパーティーベンダにとって大きなチャンス」だとしている。Androidは、PCと同様に特定の端末のことではなく、むしろプラットフォームのことだ。Android端末はネットワークに関わる部分は別として、アプリケーションプラットフォームはシステム全体がオープンソースだし、SDKも原則フリーだ。どんなソフトウェアを作って配ろうとユーザーの勝手だ。それこそがインターネットの本質の1つではないだろうか。

それでも日本はグローバル市場で貢献できる

 言語や文化、キャリアの持つ閉鎖ネットワークという壁に守られて日本のモバイル産業は今のところ内需で回り、内需で成り立っている。しかしPCがそうであったように、いずれモバイル通信の世界にもグローバルスタンダードの波がやってくる。モバイル・インターネットは、インターネットそのもので、特殊なネットワークは淘汰されるだろう。LAN用プロトコルとしてNetBEUIやAppleTalk、Token ringなどがあったのが、すべてTCP/IPに置き換わったのと同じだ。

 これはモバイル端末に限った話ではないだろうが、もはやグローバルに通用するブランドでなければ生き残れないし、グローバルにシェアを取れない企業は部材調達力や営業・マーケティング力で、いずれ淘汰されるだろう。

 日本のケータイという製品ジャンルは「ポケベル」のようにいずれなくなると思う。ただ、日本の端末メーカーやソフトウェアベンダといった企業、あるいはWeb開発者は、今後グローバル市場で非常に多くの貢献をすることになるのではないかと思う。大手キャリアも好むと好まざるとに関わらず、大きく舵を切るようになるだろう。そうした動きの1つは日本Androidの会のようなところから出てくるのではないかと期待している。

(@IT 西村賢)

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